「そうありたい。」私は「そうでない。」から今がある。

私が応援したいなぁと思う方々は、自分の「楽しい」とか、「好き」を大事にしている人。
バカバカしいことでも、自分がしたいことを全力で楽しむために頑張る人。
自分もそうありたいと思います。
「そうありたい」と思うということは、「そうでない」の部分が大いにある私です。

こころがザワザワしてしまい応援よりも、不安を感じてアドバイスを口走ってしまいそうになるのは
(実際に口走ること多し)
自分のことよりも周りの顔色をうかがい、周りに気を使いがちに(私が)見える人。
自分の良いところをみないように(私が)見える人。
実はその人たちというよりも、自分の中のそういった部分をよくないと思っていて、
自分と重ね、不安を感じているのです。
良い悪いなんてないのに。
それにどんな人にも様々な事情があるので、同じなわけはないのに。

 

 

私の子供時代は生きていくために
常に人の顔色をうかがい、周りの人たちが望んでいる言葉を察知して発言したり、行動したり
しなかったりと、自分以外の考えを基準にしないといけないような環境にいました。
こう言葉にすると、「いや、好き勝手にわがまま放題にやってただろうに。」という自分の声が
聞こえるのですが、いやいや、そういう行動でバランスをとっていたんだよと
今はその都度思いなおしています。(サバイバーなわたしは最強なのでなかなか聞く耳を持ちません。
が、それもまたしかたないよなぁと思いつつ)

大人になって、環境が変わっても、私の傾向はあまり変わりませんでした。
きっとね、このままこの傾向はあり続けるのだと思います。
そのおかげで心理学を学ぼうと思いましたし
私を生かし続けた思考でもあります。
ただ、人の顔色をうかがい、人のために考え、行動し、人の喜ぶ顔をみて間違ってなかったと安心する。
この「人」のなかに昔の私は「自分」を入れてません。
「自分」も入れようよ!と今は思います。

最近、「どうして(今の仕事)やってるの?」
「どうしてやろうと思ったの?」
と訊ねられることが何度かあって
あらためて「なんでだろ」と考えていたらいろんなことを思い出しました。

「どうしてやっているの」か、今の私の答えは
「そうありたい」と思う「そうでない」人たち(自分を含む)を
応援したい「わたし」でいたいから。
自分の選択を他者基準ではなく、「そうありたい。」「そうでない。」部分も全部含めて
自分の気持ちにできるだけ添っていきたいからなんだと思います。

…わかりづらい。。
次の目標は「もう少しわかりやすく」に決定。

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